イタリア修学旅行、3日目朝です。聖堂で朝のお祈りです。
昨晩は、疲れ切ってみることができませんでしたので、コレッジョでの見学・記念撮影をしています。
マリア・マザレロとドン・ボスコの出会いは,マリア・マザレロ27歳のときです。
この頃,マリアはもう裁縫教室をはじめて,町のある家で二人の孤児を受け入れていました。
35歳のとき,仲間や娘たちとここコレッジョに移動してきてシスターとなります。その後,ドン・ボスコに承認され,扶助者聖母会の長上になります。
初代サレジアンシスターズの総長となったマリア・マザレロは,40歳近くになってから初めて文字を習います。
パタゴニアに6名の宣教女を送ることになったときに,書いた手紙が今も残っています。遠く異国の地で,奉仕活動,教育活動に携わるシスター達を心配しながらも,強く使命感をもって生きて欲しいと綴られています。
コレッジョの中の聖堂のステンドガラスには,その6人の宣教女,見送るマリア・マザレロが描かれています。
コレッジョの「命の水」となった井戸です。
コレッジョでは,「よく遊び,よく歌いなさい」と言われます。中庭でボール遊び,こんなゲームも寄宿生達はしていたはずです。
お世話になったシスター達に挨拶をして、出発です。
マリア・マザレロが幼少期を過ごしたヴァルポナスカに向かいます。
ここは丘の上にあり、すぐ前に葡萄畑が広がっています。
マリア・マザレロは、毎朝ここから遠い山向こうの教会まで通いました。夕の祈りに遠い教会に行くことは難しかったので、写真の小窓から毎日その教会に向かって一人でお祈りをしていたそうです。
その窓をバックに集合写真です。
移動して,村の見学です。
彼女が、チフスに罹患した一家を献身的に看病を行っていた家です。その後、彼女自身がチフスに罹ってしまい、昔のように葡萄畑で働けなくなってしまいます。
農作業が思うようにできなくなったマリア・マザレロは裁縫を始めます。そして、町の少女達の自立のため裁縫所を作り、少女達と共同生活をしました。
裁縫を始めた場所、窓からお祈りした教会などを周り、レストランで食事です。
メニューはラザニア、ポテト、ティラミス。イタリアの家庭料理です。美味しくて笑顔がこぼれます。